「恋のおはなし」聴いてきました。

らくこのらくご 第1回「恋のおはなし」
<公演概要>
渋谷に福来たるSPECIAL・特別追加公演
ひな祭り女性限定落語会
らくこのらくご—女の子のための落語—
第1回「恋のおはなし」
開催日時:2012年3月3日(土)19:00開演
会場:渋谷区文化総合センター大和田 伝承ホール
出演・演題:立川談笑「ジーンズ屋ゆうこりん」/桃月庵白酒「転宅」/春風亭ぴっかり「悋気の独楽」

白酒さんいいですね。まくらで「落語会や寄席はある程度傷ついた人間がくる湯治場のようなもの」と…。5月の独演会、行ってみようかな…(笑)。
なごやかな雰囲気で、気兼ねなく笑えた落語会でした。

『猿の惑星:創世記』

(原題:RISE OF THE PLANET OF THE APES)
初めて“言葉”が発せられるシーン。人間に支配されているすべての動物の心の叫びに聞こえて、おもわず涙がこぼれました。
傲慢な人間ばかり出てくるので、観ていて完全にチンパンジーたちの方に感情移入してしまいます。

『想像するちから』

装幀がとても素敵な本です。
だれかに語りかけるような文章だなぁと思いながら読んでいたら、あとがきに「遺書のつもりで書いた」とありました。
人間と同じヒト科であり、人間(ホモ属)にもっとも近いチンパンジー(パン属)を、観察し人間と比較することで、「人間とは何か」が考察されています。
いちばんぐっときたのはここでした。

今ここの世界を生きているから、チンパンジーは絶望しない。「自分はどうなってしまうんだろう」とは考えない。たぶん、明日のことさえ思い煩ってはいないようだ。
それに対して人間は容易に絶望してしまう。でも、絶望するのと同じ能力、その未来を想像するという能力があるから、人間は希望をもてる。どんな過酷な状況のなかでも、希望をもてる。
人間とは何か。それは想像するちから。想像するちからを駆使して、希望をもてるのが人間だと思う。

「この世で一番不思議な話—量子論の世界観—」

科学と仏教の接点7「この世で一番不思議な話—量子論の世界観—」を受講してきました。

量子論の第一人者、東工大の細谷暁夫教授と、花園大学の佐々木閑教授が、「二重スリット実験の不思議」「EPR実験の意味」「量子コンピューターの仕組み」などを中心に、「我々が常識として考える世界観と、現実世界のありさまが、どれほど食い違っているものか」を討論します。

  • 量子力学の不思議:光子裁判
  • 光子裁判のやり直し:量子消しゴム
  • アインシュタイン、ボドルスキー、ローゼン
  • 量子力学の公理
  • アハロノフの弱い測定:負の確率?
  • 量子計算

わたしたちの日常の世界観を超えた宇宙的な真理を知ることで、「ものごとをありのままに見よ」という仏教の教えの重要性を理解するための講座だそうです。超難解な量子力学、なかでも「光子の裁判」は、原因があって結果がある、という論理的な因果関係と真逆の展開。あれこれ思いをめぐらすことのできた、刺激的な講座でした。

『風が強く吹いている』

キングは小心であるがゆえに、プライドが高い。傷つけられることを恐れて、ひとと親しく交われない。そんな臆病な本性を、だれかに知られることすら許せないから、表面上はひとづきあいのいい明るい人間を装う。

つかず離れず、無言で絶妙の距離を築く方法が、キングはどうしてもうまく体得できない。どこにいても、だれといても、いつも自分が浮いている気がする。角が立たぬよう愛想よく振る舞い、けれどだれにも心を開けない。

わたしはキングに似ています。そんなキングが、自分自身と相手を、恐れずに認めて信じて走る。うらやましかったです。

「いいか、過去や評判が走るんじゃない。いまのきみ自身が走るんだ。惑わされるな。振り向くな。もっと強くなれ」

強さ。(中略)個人で出走するレースだとしても、駅伝だとしても、走りにおける強さの本質は変わらない。
苦しくてもまえに進む力。自分との戦いに挑みつづける勇気。目に見える記録ではなく、自分の限界をさらに超えていくための粘り。

“走る”ことは“生きる”ことと同じですね。三浦しをんさんの小説、かっこいいです。『まほろ駅前多田便利軒』のチワワといい、ニラといい、犬がいい味出してました。

『ディア・ドクター』

笑福亭鶴瓶さんの胡散臭い感じがぴったりでした。

人間がその才能を爆発的に開花させるのは、「他人のため」に働くときだからです。人の役に立ちたいと願うときにこそ、人間の能力は伸びる。それが「自分のしたいこと」であるかどうか、自分の「適性」に合うことかどうか、そんなことはどうだっていいんです。(中略)ピンポイントで、他ならぬ私が、余人を以ては代え難いものとして、召喚されたという事実が人間を覚醒に導くのです。
(via 内田樹『街場のメディア論』)

わたしは白か黒かを決めたがる性格なのですが、そのあいだのグレーの部分にいるからこそ、見える何かがあるのかなぁ、なんて思いました。

『ゆれる』

稔の、洗濯物をたたむ背中と、ラストの表情がたまりません…。
無駄なシーンとかセリフとかいっさいなくて、間(ま)が絶妙。すばらしい映画です。

福岡伸一さんの『世界は分けてもわからない』のなかの「私たちは見ようと思うものしか見ることができない。そして見たと思っていることも、ある意味ですべてが空目なのである」を彷彿しました。

『ブルーバレンタイン』

(原題:BLUE VALENTINE)
“現在”と“過去”のカットバックも、主演ふたりのアドリブのシーンも、エンドロールも、ぜんぶいいです。「未来の部屋」でのくだりには、胸がつぶれる思いがしました。
“現在”のディーンの、鳥柄のトレーナーが痛々しいですね…。