2015年11月11日 今日のダーリン

ほぼ日刊イトイ新聞

ミグノン」の友森さんは、これまでに、
行き先というか、生きる先のなくなった犬や猫を
数え切れないほどたくさん保護して、
新しい家族を探して生きていく場所を確保させたり、
そのままボランティアの人たちといっしょに
世話をし続けたり、看取ったりをくりかえしてきている
(あんがい考えるところはしっかり考えている人だから、
 ぼくが「数え切れない」とかいう表現したところなども、
 実はしっかり数字で記憶しているかもしれないが)。
その友森さん、
そんなふうに言われたくないかもしれないが、
じぶんの命を削るようにして育てた猫や犬を、
「他の家にお届けする」のが、大事な目的である。
つまり、いちばん目的を達成できたよろこびの時は、
同時に、いっしょに生きてきた動物との別れの時なのだ。
いったい、どれだけの別れをくりかえしてきたのだろう。
そして、これからも、別れる日を待ちながら、
ごはんをあげたり、うんちやおしっこの始末をしたり、
散歩をさせたり、治療をしたりを続けていく。
「預かりさん」というボランティアをしている人たちも、
いっしょに暮らしているうちに離れがたくなって、
そのまま飼い犬や飼い猫に迎えるケースも、よくある。
そういう気持ちも、よくわかる。

あえて軽い感じで、友森さんに訊ねたことがある。
「別れるのって、さみしくないの?」
「それはさみしいけど」とかの前書きは一切なしで、
すっと軽く答えが返ってきた。
「わたしは、預かってると思っているから」
その答えにたどり着くまでにどれだけの思いがあったか。
ぼくが勝手に想像するのも失礼なことだろう。
そうか、と思った、「預かっている」のか。
だからこそ、大事にしなきゃとも思っているのか‥‥。

じぶんの家にいる家族も、ほんとうは「預かっている」。
チームとか会社とかも、実は「預かっている」ものだ。
さらに、よく考えればじぶん自身も、「預かっている」。
じぶんだからといって、粗末にあつかってはいけない。
じぶんのものだと思ってるものは、実際には、
みんな「預かっている」ものなのだという気がしてきた。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
じぶんの勝手にしていいものなんて、ないのかもしれない。

犬をたてつづけに看取ったときに、
「一緒に暮らした動物は、天から預かったもので、また天に返すもの」
というような言葉に、すこしだけ救われたことを思い出しました。

それと、これ。
セックスワークについて(内田樹の研究室)

Posted in dog

NHK 放送90年ドラマ 経世済民の男「小林一三」

小林一三 | NHK 放送90年ドラマ 経世済民の男

ドラマのラスト、昭和31年(1956年)。
小林一三が、病床の長男 冨佐雄に
「今日、東宝の忘年会なんです。
僕の代わりに話してきてくれませんか」
と頼まれたスピーチのシーン。
その内容にとても感動したので、書き起こしました。

ひさしぶりに諸君に会うことができて、まことに喜ばしいかぎりです。
わたしはね、これからのニッポンというものを、いろいろ考えておるわけです。
専門家の話も聞き、研究もし、この国は、すばらしい国になるという結論をもっています。
ただ、ただ、そうなるにはひとつ条件があるんです。
それはね、みなさんが全員、働くことです。
働くというのはね、働くというのは、本来とても楽しいことなんです。
夢を描いてね、知恵を絞る。努力をする。その果てに、笑ってくれる人がいる。
そしてその対価として、報酬がついてくる。これがね、楽しい(笑)
いやもう、じつに楽しいことなんです。
自分の人生がここにあると感じることができる。
努力はね、絶対に、報われなきゃなりません。
報われるとうれしいでしょ。立場が変わったら、こんどは報いようとするでしょ。
そういう循環をもつ社会は、頼もしいことになると思うんです。
みなさんは知らないでしょうねぇ、働いても働いても報われない、そんな時代が長く続いてしまいましたからねぇ。
ですが、みなさんは兎にも角にも、生き抜いてここに、生き抜いて、いまここにいることができる。
ここまで、今日までこられたのだから。
きっと遠くない未来、この国は、頼りがいのある国になります。この国で働くことが誇りであり、徳であり、物心両面に報われることが、もっとも多い国になると思います。
みなさんなら必ずできる、そう期待しています。
どうもありがとう。これからもしっかりやってください。

冨佐雄は
「僕も働きたいです
お父さんのように
80まででも」
と記しますが、一三のスピーチの翌年10月に亡くなっているんですね…。
このドラマが冨佐雄の目線から語られていることも相まって、せつなさが募ります。
すばらしいドラマでした。

今年2回めの高野山参拝

特別開帳の伽藍金堂本尊 薬師如来(阿閦如来)像、金剛峯寺持仏本尊 弘法大師坐像の拝覧のため、今年2回めの高野山を参拝してきました。

27日、Jetstar GK211便で成田空港発20:45→関西空港着22:15。のはずが、飛行機の到着が40分近く遅れ、電車の乗り継ぎが予定通りにいかず、さらに慌てて飛び乗った電車が行く先ちがいで、和泉中央から橋本までタクシーで移動する羽目に…出費が痛い…涙。
旅行費用を安くしようと選んだジェットスターでしたが、自宅と成田空港、関西空港と橋本は意外に遠く、結局高くついてしまいました。

28日、早朝より、まず4月にたどりつけなかった(詳細)大門から壇上伽藍へ。
秘仏 薬師如来(阿閦如来)像の第一印象は「白い!」…笑。
根本大塔の胎蔵界大日如来と金剛界四仏は、圧倒される大きさと色彩。東寺の立体曼荼羅にくらべると、華やかで、窮屈に感じました。
この日のために購入したAF-S NIKKOR 35mm f/1.8G EDとAF-S NIKKOR 85mm f/1.8Gを取り替えながら、写真撮りまくり。
木々の紅葉が美しく、とくに金剛峯寺 蟠龍庭がすばらしかったです。

奥之院を歩き、高野蕎麦 天宏でおろし天ぷらそばをいただいたあと、高野山下山。GK210便で関西空港発20:05→成田空港着21:30。

  • miedo
  • konpon-daito red leaves
  • kongobuji autumn colors
  • kongobuji red leaves
  • kongobuji temple crest
  • iron pot and rice scoop
  • tenkou store interior
  • oroshi tempura soba

2015年の夏休み

7月8日は入谷朝顔まつり、7月22日は神楽坂まつり ほおずき市

  • morning glory
  • chinese lantern plant

 
8月1日〜4日は出雲崎に帰省。祖父(94)はバイクでこけて首コルセットだったけれど祖母(90)とともに元気でなにより。
弥彦神社を参拝、初めてマス席から長岡花火を観覧、そして初めての熱中症(軽症)。

  • 祖父の趣味のクロスワード。

    祖父の趣味のクロスワード。

  • 土用の太陽と夜露をたっぷりあててつくる梅干し。

    土用の太陽と夜露をたっぷりあててつくる梅干し。

8月12日〜16日のお盆休みは、献血して墓参りしてもんじゃ食べて「異人たちとの夏」見て泣いて浅草花やしきで宝探しして並木藪蕎麦としらかめで蕎麦と日本酒を堪能。

  • わたしと同じ名前の祖母の眠る墓。

    わたしと同じ名前の祖母の眠る墓。

  • juwari soba

    しらかめの十割蕎麦と純米緑川。

「志の輔らくご 2015 IN 下北沢 恒例 牡丹灯籠」

7月26日千秋楽、観てきました、東京・下北沢 本多劇場プロデュース「志の輔らくご 2015 IN 下北沢 恒例 牡丹灯籠」。
音源ではいろいろ何席も聞いてはいたけれど、はじめての生(なま)志のさん。

立川志の輔さん、素晴らしかった。落語聞くまではガッテンの面白い人としか思ってなかったけど、ものすごい話術。
「牡丹灯籠」、感動した。伴蔵がほんと怖かった。“落語とは人間の業の肯定である”って、ほんとだ。

tenugui (shinosuke rakugo 2015)

京都で仏像と蕎麦三昧

まず東寺の講堂で五智如来、五大菩薩、五大明王、梵天・帝釈天、四天王を堪能。
大日如来の真正面に座って、ご尊顔をずっと見つめてました。
金堂の薬師如来と日光・月光菩薩、なぜか居心地が悪くて長居せず。
三十三間堂では、わたしの守り本尊でもある千手観音菩薩、本尊の坐像と1,001体の立像、そして風神・雷神に二十八部衆を、何時間もかけてゆっくりゆっくり鑑賞。
湛慶作の諸像がもっと見たい、、高山寺行かなくちゃ。

そして蕎麦。
よしむら清水庵で石臼挽き十割そばと鴨南蛮そば。
本家尾張屋できつねと志っぽく。
京都のお蕎麦は、つゆのかつおだしがすごい。九条ねぎが美味しかった。

  • kyoto juwari soba
  • kamo nanban soba
  • kyoto tanuki soba
  • kyoto shippoku soba

2015年のゴールデンウィーク

2日から4日は傷心でふて寝。
5日は江の島大師に参拝し、魚見亭で瓶ビールにさざえのお刺身、焼きはまぐり、しらす丼。
6日は神代植物公園に。フジもツツジも見ごろがおわり、バラは2部咲き、大温室は工事で休館と、かなりトホホなタイミングでしたが、とっても良いお天気ですごく気持ち良かったです。そして深大寺に参拝したあと、門前で日本酒とお蕎麦をいただくという、後半からいきなり素敵なゴールデンウィークになりました。

  • lager beers
  • jindaiji soba

NHK大河ドラマ「花燃ゆ」の集い

松陰神社から豪徳寺まで歩き、そのあと大河ドラマについて語る、というイベントに参加してきました。

松陰神社は…、真新しい黒い大鳥居、レプリカにもかかわらず遠くから眺めるしかできない松下村塾、石燈籠は32基すべてに「きけん のってはいけません」の注意書き…、正直、興ざめしました。
一方、豪徳寺は、境内も墓地も悠然とした雰囲気。咲き始めた牡丹がきれいでした。

歩いてみてあらためて思ったのは、松陰神社と豪徳寺、近い。
豪徳寺が井伊家の菩提寺になったのは寛永10年(1633年)、安政の大獄が安政6年(1859年)、桜田門外の変が安政7年(1860年)、松陰の墓が小塚原から改葬されたのが文久3年(1863年)、どうしてこんな近くに…。

イルキャンティ・フィレンツェでおいしいご飯をいただきながらみんなで大河のあれこれをおしゃべりして、解散となりました。
ひとりで黙々と歩く寺社巡りもいいけど、みんなでいろんなこと話しながら歩くのもいいね。

  • beckoning cats (gotokuji temple)
  • beckoning cat

熊野三社、金剛峯寺、東寺を巡礼してきました

熊野三社、金剛峯寺、東寺を巡礼してきました。

1日め、熊野。
JAL0213便で羽田発7:25→南紀白浜着8:40。快速熊野古道3号で熊野本宮大社へ。そして熊野速玉大社から熊野那智大社へ。
出発前にバスと列車の乗り継ぎの計画を立てながら、なかなかタイトなスケジュールになりそうと覚悟はしていました。当日は雨でバスが遅延し、予想をはるかに超えるきわどさで、ほとんど駆け足の移動。さながら修験者のようでした。

2日め、金剛峯寺。
串本から紀勢本線で高野山に移動。
寒くて寒くて全身の震えが止まらず、金剛峯寺でお坊さんに「暖まっていきなさい」とストーブの前に案内される始末。
仏生会のお茶の接待を受けることはできたけれど、あまりの寒さのため壇上伽藍にも霊宝館にも行けず、宿泊する福智院に早々にチェックイン。写経をし、温泉に入り、精進料理をいただいて過ごしました。
夜中に萌花ちゃんをまた看取る夢を見て泣きながら目を覚ましつつ…(本当は悲しくなんかないでしょ?いちばん好きなのは自分でしょ?って一緒にいた誰かに言われた気がする…)、翌朝の勤行に参加し、奥之院を参拝したあと、下山。

3日め、東寺。
まず大神神社に。春の大神祭のため三輪山登拝はできなかったけれど、大好きな彌彦神社に似た、気持ちの良い場所でした。
そして奈良→京都と移動し、東寺へ。
閉門までの30分間で、食堂と春期特別公開の小子房を拝観し、JAL0138便で大阪伊丹空港発8:20→羽田着9:30。
予定では吉野山→三輪山で帰路につくつもりだったのに急遽変更したのは、高野山があまりにも居心地が悪くて、もしかしたら弘法さまに拒否されたのかもと心配になったからです。でも、東寺に行ってみたらすごく穏やかな気持ちになれました。「高野山にはまだ早ーい!」って啓示されたのかも(笑)

  • shrine office (kumano hongu)
  • buddha's birthday celebration (kongobuji temple)
  • shu-in

「白隠フォーラム in 東京 2015」

白隠フォーラム in 東京 2015」を受講してきました。
講師は、佐藤勝彦先生(自然科学研究機構機構長)、佐々木閑先生(花園大学文学部仏教学科教授)、芳澤勝弘先生(花園大学国際禅学研究所)です。
ちなみに、わたしの愛するテレビ番組、Eテレ「100分 de 名著」の名著05「真理のことば」と名著19「般若心経」を佐々木先生が、名著17「相対性理論」を佐藤先生が解説されています。
芳澤先生のお話は初めてですが、京極夏彦『鉄鼠の檻』、森博嗣『封印再度』を読んでから禅に関心があったので、お三方の共演にとても期待しておりました。

会場の紀伊國屋ホールにたまたま置いてあったという太鼓の法鼓(ほっく)ではじまった「白隠フォーラム in 東京 2015」、まずは細川景一先生(花園大学学長)から。
鎌倉時代の貴族や武士を対象にしたむずかしい禅を、江戸時代になって白隠が、大衆のためにわかりやすく説かれたように、宗教は、時代の要請に常に敏感であって、その時代の要望に応え、その時代の人々の心に響くものがないといけない、とのお話がありました。

第1部『「万法帰一(まんぼうきいち)」と白隠』と題された、芳澤先生のお話です。
白隠晩年の、発展した圓相ともいえる、布袋と寿老人の禅画が紹介されました。

  • 布袋と衆生と在青州作一領布衫、重七斤
  • 寿老人と衆生と在青州作一領布衫、重七斤

どちらの画も、ひねった紙のなかに布袋/寿老人がいて、その紙には、「在青州作一領布衫、重七斤」と書かれてあります。
これは『碧岩録(へきがんろく)』四十五則「趙州万法帰一」の、「万法は一に帰す、一は何れの処にか帰す」と問われた趙州(じょうしゅう)が「我れ青州に在って一領の布衫を作る、重きこと七斤(青州で襦袢を一枚つくった、重さは七斤)」と答えた、という公案に対する、白隠の理解であるとのこと。
禅の問答に正解はなく、大切なのは、書かれてある言葉よりむしろ問いかけそのものであり、白隠は、永遠に問い続ける努力をしなさいとおっしゃっているのだそうです。
それにしても、メビウスさんが生まれるより前に、このような表も裏もない、表が裏であり裏が表である画が描かれていたなんて、感動してしまいました。

白隠禅の核心は「四弘誓願文(しぐぜいがんもん)」という、有限の私が無限の全体と関わる方法だそうです。
 衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど)
 煩悩無尽誓願断(ぼんのうむじんせいがんだん)
 法門無量誓願学(ほうもんむりょうせいがんがく)
 仏道無上誓願成(ぶつどうむじょうせいがんじょう)
これを、白隠は『八重葎(やえむぐら)』のなかで、
“若し「仏道無上誓願成」を得んと欲せば、「衆生無辺誓願度」を行ずべし。「衆生無辺誓願度」を行ぜんと欲せば、「法門無量誓願学」を勤むべし。その中、覚えず「煩悩無尽誓願断」に到る。”
と、順番を入れ替えて、まず“すべて学べ”とおっしゃっているとか。
わたしは「悟りたい」「救いたい」とはまだ思えないけれど、佐々木先生のおっかけをはじめてから毎日が楽になったなぁと感じています。煩悩、減ってきたかな。

第2部は、「宇宙誕生のシナリオ、インフレーション理論 —観測的実証への期待—」、佐藤先生のトークセッションです。
まず、インドでお求めになり、機内手荷物で持ち帰られたという10kgのシヴァ神像の写真が映し出されました。
そのシヴァ神が手に持っている、宇宙の破壊と創世を奏でるという小太鼓に「どういうふうな音がするんだろう」と感激されたんだそうです。佐藤先生のお人柄がよく出ているエピソードだなぁと思いました。
つづいて、宇宙のはじまりのお話、キーワードは「真空のエネルギー」と「真空の相転移」。超難解でした…。
宇宙には1000億個の銀河があって、そのなかのひとつである天の川銀河の、そのなかのひとつの太陽系の、そのなかの地球で自分は生きているって、あらためて考えると、いまのこの時間がとても愛おしくなります。感謝。
しかも、宇宙はひとつではなく、母宇宙があって子宇宙があって孫宇宙があって…なんて、思い描くだけで気が遠くなりそうです(笑)
後半に、宇宙のはじまりの急膨張「インフレーション」を裏付ける原始重力波の間接的観測のお話が出てきて、…最近“重力”と聞くとつい「インターステラー」のあの本棚を彷彿してしまいますが…、ぜんぜんわからなかったけど、すごいということだけわかりました!(笑)
佐藤先生の著書『眠れなくなる宇宙のはなし』のなかの、この部分が好きです。

「それは役に立つの?」と問う時、その人は「役に立つかどうか」を判断する際の自分の基準や価値観を疑っていないんだと思います。でも人生において、それまで持っていた価値観がすべて崩れてしまう場面が、ないとはいいきれませんよね。(中略)そんな時、自分を取り巻く世界を見つめ、その中での自分の立ち位置を再確認することが、新たな価値観を築き、自分を取り戻すことを可能にしてくれるんだと思います。大げさに聞こえるかもしれませんが、宇宙について想うことは、そんなことにもきっとつながっていると思うんです。

第3部は、佐藤先生、佐々木先生、芳澤先生のパネルディスカッションです。
まず“今日は禅と科学をくっつけるアロンアルファの立場だ”とおっしゃる佐々木先生から、いままでの総括的なお話が。

じつに壮大な、138億年にわたる時間と空間の広がりを感じる旅をしたように感じた。
自分の身近で常識的な世界から、それを剥ぎ取られる感じも受けた。
自分中心に考えている普通の日常とは全然違うものが、じつは宇宙の本当の姿であり、いかにわたしたちが、そういった真実の姿とは違う、日常観念に縛られて生きているかを実感した。思い込んでいた先入観の破壊というものがあるように思う。
あたりまえだと思っているものを、メビウスの輪のようにひねってみると、全く違うものが見えてくる。禅はそれを一瞬で見ようとするが、科学は理論の積み上げで見る。しかし見ていく先に現れるものは、どちらも人間が勝手に思い込んでいる世界が、いかに本質とちがっているか、ということ。禅と科学の方向性は一緒なのではないか。

つぎに芳澤先生。

自然科学のフロンティアはどんどん拡大していて、それにともなって謎が出てくる→認識が膨張する→また謎が出てくる、ということに印象を強く受けた。
禅は、何かを説明しようということを極力否定する。説明すればするほど、そのことから遠ざかるのだという姿勢がある。なんとまあすばらしい非科学であるか。
禅の関心は自分である。自分は何者か、自分は何をなすべきか、自分のなかを問うている。「即今只今」のわたしがつねにテーマであり、これは科学と大いに違うところであるが、そのテーマを突き詰めるとまた広がっていくという構造は、科学と似ている。

そして佐藤先生。

ニュートン力学の破綻をきっかけにして相対性理論が生まれたように、科学にはかならず綻びがあって、そこから新しい真理が生まれてくる。
科学というのは真理の探究だと言われるが、到達したらそれで終わりというものではない。真理には階層性があり、無限の階層があるもの、終わりがわからないのが真理である。
科学は、世界のなかの自分の存在を客観的に知ろうとする。悟るとは、無限のステップである、ということを悟ることではないだろうか。

人間の基本的な悩みは生老病死であるけれど、苦しみは時代とともに多様化しどんどん増えていて、釈迦のほうが軽かったのではないかと佐々木先生。
ここで“煩悩インフレーション”なる言葉がとび出します。いい得て妙で、爆笑してしまいました。

そして、芳澤先生から、「真空エネルギー ≒ 無一物中無尽蔵」というご発言が。
禅は、昔からの人間のある種の直感が伝わっているんじゃないか、とも。いいですね、無一物中無尽蔵。龍樹の「空」にも似てる気がします。

「白隠フォーラム in 東京 2015」、本当にすばらしかったです。白隠禅をもっともっと学びたくなりました。
宇宙の真実は常識とは違っていて、人間の直感はときに真理を言い当てている、だとしたら、虹の橋は本当にあるのかもしれない…、なーんて考えながら、帰路につきました。